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4月  ー23歳、浪人生ー

「ここで新しく予備校をはじめるんですね」
まだ寒さの残る3月、私は校舎を内覧しながら、知り合いの学習塾経営者にそう言った。
「そう。高校生も増えてきたし、浪人生も受け入れていきたいから、新しくここも借りたの」
私が小学生の頃通っていた学習塾の経営者夫婦とは、15年以上個人的な付き合いがあり、私が受験をすることにしたと伝えると、塾長夫人は「ちょうどよかった。今度、新しく予備校を開校するからうちにおいでよ」、とのことだった。
そうして4月、ここで私の浪人生活が始まった。

その予備校は立ち上げ当初で日中は講師が不在だったため、自ら電話対応や来客応対、備品の買い出し等をしたり、塾長夫人から斡旋された小学生の講師アルバイトをしたりもし、自分は生徒なのか、講師なのか、運営者なのかよくわからない状況で学習していた。
開校当初もう一人いた在校生は1カ月もしないうちに「今日も勉強できなかったですね…」と、一言つぶやき、塾を去ってしまった。
その日から、予備校は私一人になった。

学習面はというと、学生時代は全く勉強していなかったため、何をどう始めたら良いのか、皆目見当がつかなかった。漠然と苦手科目から潰すべきという考えはあったため、4月は学生時代、特にひどかった英語に専念することにした。
「まずは単語だろう。理解不要だから、自分のような馬鹿にもできる。1日30個やれば1カ月ちょっとで1000個だ。これだけ覚えればさすがに何かが変わるだろう」そんなことを考え、単語暗記を開始した。
文法は予備校にあった学習ソフトで1日1単元ずつ進めることにした。もともとの学力不足に加え、記憶力不足と、集中力不足もあり、単語30個暗記で順調にいっても1時間ちょっと、場合によっては2時間30分程度かかることもあった。
それまでまともに勉強をしてこなかったので、とにかく集中力が持続せず、非常にムラがあった。ただ、その日やると決めた範囲は単語も文法も完答できるようにしていった。そして必ず、翌日の学習は前日の復習から始めた。

一日の学習時間は4時間ほどだっただろうか。しかし、ゆっくりでも着実に知識が増えているという実感はあったと記憶している。
このようにして私の受験勉強はスタートした。

振り返ってみると、まともに勉強してこなかった割には、この「時間や進み具合ではなく、完成度を重視」「必ず復習から始める」という判断をしたことは賢明だったと思う。今振り返ると、早くからこの学習スタイルを構築したことが合格の決め手だったと断言できる。

 

学習内容

ー英語ー
システム英単語  1日30個
予備校の学習ソフト  1日1分野

 

2021年08月31日

5月  ー出来過ぎた模試ー

5月のGW頃、浪人生として初めての模試を受けた。
4月に力を入れた英語は「ん?けっこう読めるぞ」という実感があり、模試前2週間ほど勉強した物理は力学でそれなりに得点し、残りの分野も勘で得点。
学生時代、追試の連続で進学も危ぶまれるほど苦手だった英語、物理が共に偏差値50を超えた。また、寝る前に参考書をパラパラ眺めただけの地理も偏差値で50を超えた。
もともと得意だった現代文は無勉で偏差値65くらい。
結局、国立理系7科目総合では偏差値で50ちょっと。

高校時代は中堅私立高校の普通コースでビリから間もなく程度の学力、4年のブランクということを踏まえると、出来過ぎだった。
「あれ、これイケるんじゃね?やっぱり俺ってやればできるんじゃん」などと壮大に勘違いした。振り返ると、模試がマーク式であったこと(勘が良い生徒は分からなくてもある程度答えが絞れる)と、この時点までの学習法がうまくハマったこともあり、このような数字に結びついた。
 
ひとまず、模試まで重点的に学習した英語、物理は先に述べたように「完成度重視(自分の力で解けるか)」「復習重視」で進め、想像以上の結果を残せた。
しかし、この時はまだまだ学習法というものにそこまでの意識を向けていなかったので、この後2カ月半を費やす数学の学習で致命的な過ちを犯すこととなる。

 

学習内容

ー物理ー
予備校の学習ソフト  コツコツと

ー地理ー
権田地理B講義の実況中継(上)  ちょぼちょぼと

 

2021年08月31日

6、7月  ー数学で大失敗ー

5月の模試以降、「あれだけ苦手だった英語、物理ですぐに結果が出た。この調子で数学も攻略すれば、受験のメドが立つ」と私は意気込んでいた。しかし、この後の2カ月、私は自身の学習歴において最も不毛な時間を過ごすこととなる。

「数学はすぐに答えを見るな。分かるまで自分の頭で考えるのが大切だ。」
古今を問わず、ちまたで唱えられているこの学習法を鵜呑みにしてしまったのだ。
30分~1時間程、分かりもしない問題とひたすらにらめっこし、結局わからず解答を確認、解答を見てもなぜそう解くのか全く分からず「そのうち分かるようになるだろう」と根拠のない割り切り。
そんなことを2カ月程、続けていた。心のどこかで「こんなやり方でいいのか」という不安がありながらも、「続けていれば、いつか分かる日が来る」そう自分に言い聞かせせていた。

8月に入り、「もしかしたら知らず知らずに数学の力がついているんじゃないか」そんな漠然とした期待を抱きながら、偏差値40程度の大学の赤本を開いた。
「え~と、この大問は難しそうだから後まわし。これも、う~ん、難しいなぁ。次の大問は・・これは・・え~と・・」
「う~ん・・・」
「・・・・・」
「・・・・・・・**〇!☆?*△×!!?・・」
(パタン)
・・・本を閉じる。
(さっぱり分からない!!)

びっくりするほど分からない!解き方どころかそもそも問題文が何を言っているのか、全く分からない!それもそのはず、今にして思えば、数学にはどんな分野があって、どんな公式や定理を使って解くのかも全く頭に入っていなかったのだから。

原因は明らかだった。数学の学習においては、英語、物理の学習の際の「完成度重視」「復習重視」ではなく、とにかく先へ進めようと「進(しん)捗(ちょく)度重視」で理解を伴わないまま進めていたからだった。
ここで初めて、数学に費やした2カ月が全くの無意味だったことを知る。
「俺はこの2カ月、何をしていた!?」
「このままじゃ絶対に負ける!」
そして、
「というか、俺は数学を勉強する必要があるのか?そもそもなんで理系を選択したんだ?」
そんな思考が頭の中を駆け巡った

挫折したことで、なんとなく始めた受験の意味、自分の進路について始めてじっくり考えた。そして、受験の相談に乗ってくれていた先輩に「心理学を勉強したいんですけど、どんな大学を目指したらいいですか」と尋ねた。
「・・・心理学は文系だよ」
雷に打たれた。そんなことを調べもせずに受験をスタートしていたのだ。
ただ、それを聞いてすぐに私の心は文転に傾いたと記憶している。
(心理学を学んでカウンセラーになりたい)
ということに明確な進路のビジョンは持ち合わせていなかったが、決意自体は強いものだったからだ(だったら進路ぐらいは調べておけ、という話は置いておいて…)。
もちろんこれから、国語や社会の学習を始めて間に合うのか、途方もない不安に直面したが、数学とおさらばできるという事実の方が勝っていたということもあったかもしれない。

こうして大きな挫折と予想だにしなかった方向転換を経て、勝負の夏を迎えることとなる。

 

学習内容

ー数学ー
予備校の学習ソフト できるだけ進める

(後日談ですが、大学在学中に「暗記数学」というやり方に変えたら劇的に伸びたので、やはり勉強する際は学習法が命です)

 

2021年09月09日

8月  ーターニングポイントー

8月上旬  ーハロー!不眠症ー

8月第1週、既に申し込んでいた地元の予備校の数学講座を受講した帰り、「文転しよう」と最終的に決断した。あまりの出来なさから数学への未練を断ち切ることが出来たし、やはり心理学以外にやりたいことがなかったからだ。
年齢的にもそれなりの大学は出ねばと、志望校は最低限MARCHとし、慶應法学部の友人に相談したところ、「これからだと寝る間も惜しんでやらないとだよ」とのこと。「そうか、やはり相当厳しいんだな・・とりあえず今日はもう寝て、明日から考えよう」。

・・・横になって少しすると、奇妙な感覚。「ドクン、ドクン…」自分の心臓の音が聞こえる。そのうちにその音がひどく気になり眠れなくなった。思えばこれが受験の終わりまで私を苦しめた(そして同時に成功に導いてくれた)不眠症の始まりだった。

数日後の全国模試、5月には読めた英文が再び暗号の羅列と化していた。
「なんだこりゃ、さっぱり分からん」
1カ月で身に付けた知識は3ヶ月お留守にしているうちにどこかへ行ってしまった。
得意の現代文も今一つ。古文・漢文、政治経済の学習はここまで手付かずで、この模試が終わってからのスタート。

「・・・大丈夫か俺!?」

 

8月中旬~下旬 ―restudy,restart 出来ることからコツコツと―

文転を決めて、まずは本屋へ行った。
そして、合格体験記を読み漁っていると「あれ、なんかみんな同じような本を使っているな」ということに気が付いた。
「とりあえずこのあたりの本を揃えればいいんだな」と英文法と英文読解、古文単語、古文文法の参考書を揃える。
政治経済は一問一答からスタート。

英単語と古文単語は一日あたりの個数を決めて暗記。
英文法・英文読解と古文文法は一日ごとの区切りを決めて読み進め、政治経済の一問一答は一日あたりのページを決めたらその範囲は全て答えられるように繰り返す。

「思考するだけの頭は無いから、問題演習はやらない。まずは徹底的に知識の暗記」
「理解できそうなところはする、理解できないところはこだわらず跳ばす。割り切って覚えられるところは覚える」

要するに「演習はやらない、理解は可能なら、暗記は確実に」という、一人でできそうなところから重点的に、というスタイルだった。
また、「時間管理ではなく量での管理」「ただ量をこなすのではなく速答できるまでやりこむ」「毎日の学習は復習から」といったことを徹底した。数学での失敗を踏まえて、この頃には学習法というものを強く意識していた。

この頃から、地元の予備校へは顔を出さなくなり、毎日、隣町のコミュニティセンターまで足を伸ばし、そこでひたすら自習をするようになる(もともと予備校でも自習オンリーだったが)。
自分で決めた課題をただ黙々とこなす日々。
ただ、この時から受験に至るまで、ほぼ無駄な学習をすることなく、振り返ってみれば学習初心者ながら驚くほどに効率的に学習していたと思う。

こうして私の浪人生活第2章が幕を開けた。

 

学習内容

ー英語ー
速読英単語(必修編)  1日30個
英文法・語法のトレーニング(戦略編)  1日4ページ

ー国語(現代文)ー
某有名参考書  1日1単元 → 読解理論が後付けに感じたので、すぐに止めました。冷静に「無駄」と感じた参考書は早々と見切りをつけるのは大切です。以後、現代文の学習は予想問題・過去問題の演習以外なし。

ー国語(古文)ー
ゴロ565  1日20個
マドンナ古文  1日1単元

ー政治経済ー
山川 一問一答政治・経済  1日3~4ページ

 

2021年09月09日

9月、10月  ーライバルの中で初めて自信が持てた日ー

9月、10月は期間の割にはあまり書くことが無い程、黙々淡々と自分の学習計画を遂行していた。

自宅や図書館でひたすら一人で学習していたので、果たしてこのやり方でいいのか、自分がどれだけ力がついているのか、確認する術もなく不安になることもあった。
しかし、どう考えてもこれ以外のやり方は無いと考え、ただただ合格に向け何をすべきか考え、計画を立て、実行に移す、の繰り返しだった。
愚直な暗記は継続しつつ、だんだんと理解の領域が広がり、問題演習の数も増えていった、と記憶している。
9月の記憶としては、他に、とにかく不眠症がしんどかったという以外ほぼない。

10月には、ひとつ印象的な出来事があった。
大手予備校が外部生も対象としている「MARCH対策講習」のような1日やりきり型の講座があったので、受けに行った。
日本史、国語、英語と、それぞれ過去問を解いた後、講師から解説があるという流れだった。解説の内容自体はこれといって印象に残るものではなかったが、英語の答え合わせの時間、驚くべきことがあった。
「exaggerateの意味を①~④の選択肢から選べ」という問題。答えは「~を誇張する」である。選択肢など無くても知っていて当然だと思ったし、ましてや、周りはMARCHを志望する受験生ばかりである。選択肢ならなおさら余裕だろうと考えていたが、どうも周囲の受験生はそこそこ間違えているようだった。
それだけでなく、他の問題も「これは取って当然」と思えるものを周囲は結構取りこぼしているようだった。
「あれ?予備校生だからといって皆が出来るわけじゃないんだな。むしろ、丸付けの感じだと、この会場内じゃ自分はかなり出来る方じゃないか?」そんなことを感じていた。

「勝てるかもしれない!」
「このやり方で合っている!」
初めて自分の学習法に自信を持てた瞬間だった。


2021年09月10日

11月  ー退路なし。ふたつの燃料ー

11月。二つの大きな出来事があった。

一つは二度の模試。
8月はすべて暗号の羅列としか見えなかった問題。
英語長文が「あ、読める!」、古文が「あ、分かる!」、政治経済が「あ、書ける!」。
たかだか3ヶ月で、ただただ参考書を繰り返すだけでこんなに出来るようになるとは!
試験会場で解いている段階から学力、結果としての偏差値が格段に上がっていることを感じた。マークシート式、記述式、ともに十分な手ごたえだった。これで学習法への自信をますます深めた。
また同時期、MARCHの過去問をいくつか解いた。記憶の限りだと3教科平均して6~7割くらいは取れていように記憶している。当時は間違えた部分だけ見て「こんなに間違えてる」とばかり考えていたが、今にして思えばこの時期にしては上々だったのではと思う。

二つ目は、人間関係での出来事。
近しい友人たちとの関係性の中で、かつてないほどの屈辱、落胆、怒りが、ないまぜになった強烈な感情を経験した。人生においてこの時ほど自分をみじめに感じたことはなかった。
この出来事は心身に多大な影響を及ぼしたが、自分でも驚くほど切り替えも早かった。
「これで落ちたら、俺は一生何者にもなれない」
どのみち23歳、契約社員やフリーター時代の100万円の貯金を切り崩して始めた浪人生活だが、食費や社会保険料、受験費用等で貯金は思いの外早く減り、もう一年やる余裕などなかった。また、受験への焦り・不安・後悔からくる不眠症も一向に治ることなく、これもまた、もう一年付き合う余裕はなかった。

これら二つの出来事は結果的に、全く質の異なる燃料として私の「やるしかない」という気持ちを奮い立たせてくれた。
学歴なし、資格なし、目立つ職歴なし、当時の私には人生を変える第一歩として難関大に行くこと以外思いつかなかった。
貯金が尽きる前に、不眠症で体力が尽きる前に、この一年で決めるしかなかった。

上記の人間関係での出来事のあと、環境を変えようと私は地元の守谷市を離れ、80kmほど離れた水戸市の、父親が仕事用宿舎として借りたままほとんど使っていなかった平屋へと移った。
築うん十年は経っていようかという平屋で、玄関はガラスの引き戸、カギは南京錠(笑)、エアコンや風呂は使えず、冬の寒い日は水道が凍った。トイレはもちろん(?)和式のボットン。ある意味、勉強をする以外どうしようもない環境だった。

ここで残り3ヶ月のラストスパートをかけることとなる。

 

学習内容

ー英語ー
速読英単語(必修編)  1日30個
英文法・語法のトレーニング(戦略編)  1日4ページ
英文読解入門 基本はここだ!   1日1単元

ー国語(現代文)ー某有名参考書  1日1単元 → 読解理論が後付けに感じたので、すぐに止めました。冷静に「無駄」と感じた参考書は早々と見切りをつけるのは大切です。以後、現代文の学習は予想問題・過去問題の演習以外なし。 ー国語(古文)ーゴロ565  1日20個マドンナ古文  1日1単元 ー政治経済ー山川 一問一答政治・経済  1日3~4ページ

 

2021年09月10日

12月  ー眠い、だるい、やるだけー

相変わらずの不眠症。
ここで私の受験においては、学習法と同じくらい重要な要素となった不眠症について話したいと思う。

8月以来、ただの一度も3時間以上の睡眠をとったことがなかった。
「眠れないのは仕方がない。あきらめてやるだけさ」と割り切れれば良いが、私はそんなに強くはなかった。
「どうしたら眠れるだろう」「こんなに疲れていて眠いのだから今日はきっと眠れる」
そんな試行錯誤や期待の繰り返しだった。
でもやはり、「早く寝なきゃ」「いや、寝ている時間はない」そんな真逆の焦りからまったく眠れなかった。
すさまじい眠気と片頭痛に断続的に襲われ、「これはだめだ」と床について2時間、3時間・・・それでも眠れない。時間がもったいないので、英単語のCDをかけながら眠りに落ちるのを待つ。
どうしようもなくしんどいのに毎日起きている時間が20時間以上ある。受験までの時間はもっと欲しいけど、1日が異様に長いのは苦痛。
時間に関してそんな相反する感情を抱いていた。

ただ、今にして思えば私は不眠症だったから合格したと断言できる。
私は23歳までロクに勉強してこなかったので、とにかく勉強に関しては集中力が持続しなかった。せめて起きている時間の半分くらいは勉強しようと思っていたが、結果的に一日平均8時間くらいだった。
ただ、これも私にしては時間を取れていた方で、もし健康的に7時間睡眠17時間活動だったら、私は5時間くらいしか勉強しなかっただろう。
不眠症で20時間以上起きていたからこそ、不安や焦りや勉強してこなかった後悔がとてつもなく大きかったからこそ、集中力のない私でも8時間は机に向かえたのだと感じている。

勉強に関しては、引き続き、①学力分析→②計画立案→③計画実行→①学力分析→②計画立案→・・・、の繰り返しだった。
「今、自分の得意、不得意分野はどこか」「志望校に向けては何をすべきか」「1日あたりどれくらいやれば間に合うか」
そういったことを常に考え、漫然と参考書を開くということはしないよう気を付けていた。この頃には学習の比重として、暗記と理解と演習がそれぞれ3分の1ずつのイメージだった。

先述の平屋がものすごく寒く、ストーブのそばで震えながら机に向かい、洗髪は水道が凍っていない昼間の時間に台所の流しで行い、風呂は週1回、近くの民間プールの浴室で済ませていた。それ以外の日は濡れタオルで体を拭いていた。とても人様と会える状態ではなかった。

そんな世間と隔絶された環境で、目標に向かってというよりは、試験に落ちる恐怖から独り、机に向かっていた。
そうして年越しを迎えた。

2021年09月10日

1月上~中旬  ー新年。センター試験ー

―センター試験まで―

年が明け、センター試験が近づいてきた。

試験まで二週間を切ったあたりだったか、不眠症がさらに悪化した。寝ても1時間半ほどで目が覚め、そのまま48時間近く起きているなんてこともあった。大げさでなく、自分が最後に寝たのがいつなのか、何日の何時から起きているのかよく分からないような状態であった。
先に述べた通り8月以降、1日3時間以上の睡眠をとっていない。「自分はいつ倒れるのだろう・・」そんなことをいつも考えていた。とりあえずできそうな時は机に向かい、しんどくなったら布団に入って参考書を眺める、やはり眠れなくて机に向かう、・・・そんなことの繰り返しだった。

センター試験前日の朝、私は1~2時間ほどの睡眠をとり、前日夜から当日朝にかけては結局、一睡もできずに、つまり24時間起きっぱなしでセンター試験を迎えることとなった。
当日の深夜だったか、明け方頃だったか、雪が降り始めた。眠れないので英語、国語の予想問題集を解くと、英語がそれまでに比べパッとせず(確か150点程度)、国語も前日は180点程度取れたものが、100点ちょっとだった。問題集の手ごたえと極度の不眠症から自暴自棄になりかけながら、朝を迎えることとなった。

 

ー1月21日 センター試験当日ー

そうして迎えた雪の中のセンター試験。

はじめは政治経済。これが私大入試も含めた全入試における最初の試験となった。予想問題集では80点を切ることはなかったし、緊張や疲労といった要素にほとんど左右されない科目なので、比較的落ち着いて臨んだ。しかし、問題を解き始めると、どうも予想問題と雰囲気が違う。手ごたえがいま一つ。悪くはないがそれほど良くもない・・。何とも言えない後味の悪さを残しつつ、午前が終わった。

長い昼休み。とにかくセンター試験の試験間の休憩時間は長い。コンビニのおにぎりとパンを食べ終えるとやることもなくなった。不眠症の体には、時間の経過とともにミリ単位で体力も消耗していくように感じるので、「早く休憩が終わればよいのに」といったことを考えていた。時間を潰すためか、1点でも得点を拾うためか、参考書をパラパラとして過ごした。

午後の1教科目は国語。あまり全体の記憶が無いのだが、「まぁ、やりきったか」ぐらいの手ごたえだった記憶がある。漢文がやたらに簡単で「引っ掛けをことごとく、くらっているのか」と疑った。結果的には普通に正解で、単に簡単なだけであった。

最後は英語。記述はまずまずの出来で、想定していた最低限は取っただろうという印象。日頃は予想問題を本番の制限時間からマイナス5分、計75分で解いていたが、本番は慎重になり過ぎたか、時間が足りなくなった。大問3の3問は適当に埋めた(1問はあたった!)。

英語リスニング前の休憩時間はもはや体力の限界だった。何せ前日1時間ちょっとの睡眠をとったきり、既に36時間近く起きっぱなしの状態である。そこへ、極度の緊張と重度の集中力の消耗が重なり、頭がおかしくなりそうだった。「ここで倒れたら、私立出願ができん。頼むからもう1時間持ってくれ」と自分の体に祈った。リスニング自体は、配点が低いので、丸々捨てていた。眠れないときに単語帳用CDを馬鹿みたいに聞き流していたので、その耳慣れだけで臨んだ。平均点前後が取れたので、終わってみればひとまず目標点には到達した。

ともかくセンター試験が終わった。会場出口で8月まで自習に通っていた予備校の友人とバッタリ会ったので、近況を報告し合いながら帰った。
(倒れずに)試験を乗り切ったという安堵感と、外の空気がやたらと冷たかったのを覚えている。




2021年09月10日